読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Enjoy life! 面白く生きていく yoshiのブログ

面白いと感じた事やその取り組みなど自分が考えて実践した事などを書いていくブログです

アドラー心理学 21 人生は連続する刹那

引き続き、前回の続きから

「嫌われる勇気」を読んでいきます。

 

自らの生を線として捉え、人生の大半を途上としてしまう考え方ではなく、どう捉えれば良いのでしょうか?

 

 

人生を線として捉えるのではなく、人生は点の連続なのだと考えて下さい。

 

そして、人生とは連続する刹那なのです。


我々は「いま ここ」にしか生きる事ができない。


それを知らない大人達は若者に線の人生を押し付けようとします。


いい大学、大企業、安定した家庭、そんなレールに乗る事が幸福な人生なんだと。


でも、人生に線などありえません。

 

 

ほーー。

 

その前に刹那とは何? 

 

刹那(コトバンクから)

「極めて短い時間、瞬間」 であると。

 

なるほど。

 

言い換えれば、


人生は連続する瞬間かー。

 

こう考えて下さい。

 

人生とはいまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです。

 

そして、ふと周りを見渡した時に「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる。

 

つまり司法試験というダンスを踊ってきた人はそのまま弁護士になっていたり、執筆というダンスを踊り作家になった人もいるかもしれません。

 

これらはエネルゲイア的な人生(現実活動的)といえるでしょう。


いま、なしつつあることがそのままなしてしまったことであるような動きです。


別の言葉で言うなら、過程そのものを結果と見なす動きと考えてもいいでしょう。

 

なるほど。

 

僕は昔から結果よりも過程を大事にしてきたし、人を見る時も結果よりも過程に比重を置いているので、このエネルゲイア的な人生は理解できます。

 

さらにこう付け加えています。

 

いま、ここに強烈なスポット当てて下さい。

 

我々はもっといま、ここだけを真剣に生き、かつ丁寧にやっていくべきなのです。

 

過去が見えるような気がしたり、未来が予測できるような気がしてしまうのはあなたがいま、ここを真剣に生きておらず、うっすらぼんやりした光の中に生きているので証です。

 

どうも僕に足りないのはこの部分でしょうね。

 

今ここに強烈なスポット、光を当ててないと。

 

目標や夢ばかりを追いかけて、今をその準備期間と捉えてた。

 

ただ自分に光を当てる動機というか、これだと打ち込んでやっていける何かが今まではありそうでなかった。

 

でも、40歳を手前にして、要約、光が見えてきた感覚があるし、逆に自らが光を当てない時期に来てるんでしょうね。

 

 

では また次回✋️

アドラー心理学20 普通である事の勇気

久々ですが引き続き「嫌われる勇気」から。

 

 

 なぜ、「特別になろうとするのか?」


それは普通の自分が受け入れられないからでしょう。

 

だからこそ、「特別によくあること」がくじかれた時、「特別に悪くある 」ことに極端な飛躍をしてしまうのです。

 

 

うーん。

 

いまいちわかりません。

 

 

と思ってたら具体的に書いてありました。

 

 

以下

 

多くの子供達は最初の段階で、特別によくあろうとします。


例えば、親のいいつけを守って、社会性をもった振る舞いをし、勉強やスポーツ、習い事などに精をだし親から認められようとする。

 

しかしそれらが叶わなかった場合、一転して特別に悪くあろうとします。

 

授業中に消しゴムを投げたり、大声を出して授業を妨害したりする行為など。

 

ここで、もしあなたが普通である事の勇気を持つ事ができたなら、世界の見え方は一変するはずです。

 

うーん。

 

ここで言っている普通とはどんな事なんでしょうかね?

 

あまり高望みせず、夢や目標を持たず、日々を平凡に普通に暮らしていけばいいって事なんでしょうか、、、?

 

 

もう少し読んでみます。

 

 

夢や高い目標は、ちょうど登山で山頂を目指すようなイメージです。

 

もしも人生が山頂にたどり着く為の登山だとしたら、人生の大半は「途上」になってしまいます。

 

つまり、山を路破したところから、本当の人生がはじまるのであって、そこに至るまでの道のりは仮のわたしによる仮の人生なのだと。

 

では、仮に山頂にたどり着けなかったらあなたの生はどうなるのでしょうか?


途上のまま、仮のわたしのまま、仮の人生のまま、人生が中断されてしまうわけです。


いったい、その場合の生とはなんなのでしょうか?

 

 

んー。

 

 

確かに。

 

 

仮に目標が達成出来なければ何の為に生きてきたのかとあの世で悔やむかもしれません。

 

 

振り返るとこの20年は、目標ありきの人生でした。

 

年初に目標を立て、目標を中心に行動し、嫌な事があっても、僕には目標があり、そこに向かって行動すればいいと思ってました。

 

しかし、全ての目標が達成出来た事はないのに、反省し、また年初に新たな目標を立てる。

 

つまり、中間点までは行くが山頂にたどり着けず、進路を変えたり、または違う山を登山してきたわけです。

 

 

 

 

これって、、、なんか面白くない、、

 

 


そっか、、、

 

 


ちょっと先を読んでみます。

 

 


アドラー心理学の立場は違います。

 

人生を登山と考えてる人は自らの生を線としてとらえています。

 

この世に生を受けた瞬間からはじまった線が大小様々なカーブを描きながら頂点に達しやがて死を迎えるのだと。

 

しかしこうして人生を物語のように捉える発想はフロイト的な原因論にもつながる考えであり人生の大半を途上としてしまう考え方なのです。

 


、、そうなんかー。

 

 

 

ちょっと今回はこの辺にします(笑)

 


では また次回✋️

日本 vs タイ

いやー。ちょっと時間差ですが💦

 

この試合ヒヤッとさせられましたが終わってみれば4-0と完勝でしたね。

 

テレビ観戦後の感想を少し😄


この試合、久保がいなければ、引き分けか負け試合でしたね。

 

それぐらい残念ながら内容が乏しかった。

 

次に繋がる光が久保と本田の使い方ぐらいしか見当たらなかったですね。

 

この試合はゲカ人が続出で、慣れないポジションでプレーした選手もいました。

 

なので、多少守備などにもたつく時間帯がありました。

 

まあ、これは想定内としても攻撃面で、このままでいいのか?と不安になりました。 

 

僕も、中学生まではプレイヤーでしたし今は日本サッカー協会の指導員の資格を持ってますので(一番下のランクですが)
将来の為に意見を言わせてもらいます👍

 

まず守備は日本人は根本的に得意だと思うので、組織力と適材適所に選手を配置できれば特に問題ないと感じてます。

 

問題はマイボールになってからのゴールまでのシナリオですよね。

 

日本人が弱い僕も弱いですが戦略の部分です。

 

やはり点を取らないと勝てない訳だから、ゴールまでのシナリオをどうするのか?

 

タイ戦では、それがあまり見えませんでした。

 

個人技頼りで、まさに出たとこ勝負ですよね。

 

4点とりましたがW杯本戦だと通用するかどうか甚だ疑問です。

 

特に気になったのは、味方の足が止まってる場所にボールが出てるところです。

 

どういう事かというと、仮に一番後ろの吉田麻也がボールを保持してるとしましょう!

 

そこで多いのが探りながらの横パスです。

 

サイドに開いている長友や酒井宏樹にパスを出します。

 

これはこれで良いんです。仕掛けるタイミングを計っているなら。

 

問題は前線にいる選手達の動きです。

 

後半は特にその場で止まってましたね。

 

だからパスが出てもダイレクトでボールを叩いたりなど出来ず、まずはボールを止める事になり、相手DFに寄せられるパターンになっていた。

 

これだとスピード感がないし、肝心のシュートが打てない。

 

でも唯一、岡崎と久保はチョコチョコと動いていた。戻ってきたり、前に動いたりとスプリントしてましたね。

 

そのタイミングでボールが出れば面白いのに、

 

そこに出ないんです。

 

やはりリスクがあるんでしょうかねー

 

スペインやドイツ代表などは選手が動いてる所にボールが出てくるから流れる様な攻撃になり、かつスピード感がある。

 

日本は連携が得意なんだから、出来るはず!

 

もっと長所を生かして欲しい。

 

例えば、

 

山口蛍がボールを持ったら、香川が戻ってボールをもらいに来る。同時に久保や原口が香川からのパスをもらえる場所に走りだし、また、わざと逆に走ってターンして走りだす。と、同時に岡崎や大迫がゴールに直結する走りをしておく。

 

みたいな感じです。

 

まさしく連動ですよ。

 

それをいつもやるのではなく、緩める時は緩め、早める時に早める。スイッチを入れる!

 

そう出来れば最高です。

 

そして最後はシュートです。

 

この間のドイツ代表を引退したポドルスキーイングランド戦で見せたシュート。

 

マークを受けながら、すぐ様、ゴール右隅の上に突き刺さるシュート!

 

素晴らしいです✌️

 

あの様なシュートを日本人もたくさん打って欲しい。

 

タイ戦での久保のシュートはコースも似てましたね。


ちょっと気になったのでYouTubeでシュート練習を色々と見ましたが、圧倒的にゴロが多い。

 

まあ、試合前なんで、アップ程度にやってるのかもしれませんが、もっと、ゴールにこだわって欲しい。

 

キーパーに止められても平然としてる。

 

その中で、中村俊輔のシュート練習の動画を見ましたが、この人はやはり上手い。

 

ほぼ9割入ってました。それも右隅、左隅へと打ち分けて。

 

これぐらいシュートを打てる選手が代表に3人から4人いると、得点率はアップすると思いますよ!

 

ぜひ、パスだけではなくシュート練習にも比重を置いて欲しいです。

 

ちょっと長くなってしまいました💦

 

では また次回✋️

 

 

出来事

先週一週間、微熱が続いてて、

 

今週になり、やっと熱が下がり、

 

ようやく、ブログを書く気になりました(笑)

 

しかし、一週間も微熱(37.5度ぐらい)が続くなんて人生初の経験でした💦

 

もう今年で40歳になるので身体が変化してきてるんですかねー😅

 

 

では、引き続きアドラー心理学

 

と言いたいのですが、

 

先日、長男と衝突したので、その体験談を今後に生かす為にも書いていきたいと思います。

 

内容としては、

 

僕が縦の関係で、長男を見て、意見を述べた結果どうなったのか?

 

てな感じです😅

 

 

まず家に帰宅すると長男は宿題をしてました。

 

普段よりも今日は宿題が多く時間がかかってたみたいで、僕の帰宅後ぐらいに丁度終わりました。

 

そこで、長男が、

 

「お父さん! 3年生の一年間で書いた作文集を作ったから、後で暇な時でも読んでよ」

 

と言い、作文集を渡してきました。

 

 

僕は、

 

「わかった。後で読んでおくから」

 

と伝えました。

 

そして、晩御飯を食べ終え、その作文集を読んでみると、

 

国語が苦手な長男が一生懸命に書いてるのがわかり、前期よりも後期に書いた作文が字も丁寧に書けており、成長してるなと感じました。

 

ここまではよかったのですが、最後の作文に
4年生の目標を2つ書いてました。


長男なりに、考えて書いた事は理解できたのですが、その目標が長すぎて、イマイチわかりませんでした。

 

ここでちょっと僕のスイッチが入ってしまい、

 

「目標って、もっとシンプルに分かりやすく書けばいいのに、こんなダラダラ書いたらわからないし、それに対して先生も全く触れてない。これだとすぐに忘れてしまい目標の意味がない、、、」

 

と思い、

 

すぐに長男を読んで聞いてみました。

 

「〇〇! 4年生の目標を教えてよ」

 

すると長男は、

 

「それが3ヶ月前に書いた文だから忘れたんだよねー。」と。

 

ならば、

 

「じゃ ちょっと 読んでみてよ。」

 

と長男に目標を読んでもらいました。

 

「1つ目は、テストの時に最後に誤字脱字がないように3回見直して100点をとるように頑張る。

 

 

2つ目は、授業中で集中力がきれて先生の話を聞いてない時があるので、集中力をきれないようにする」

 

みたいな感じだったと思います。

 

ここで

 

「目標がちょっと長すぎない?


もうちょっとシンプルにできない?


これだと多分忘れてしまうし、何をすべきかわからなくなると思うよ。」

 

と僕は一個人として意見を述べたつもりが、

 

長男には説教に聞こえたみたいです。

 

この解釈の違いで、互いに対立してしまい、


その日は寄り添う事ができませんでした。

 

後から嫁と2人で意見をぶつけあいながら話し合い、

 

その後、

 

テニスサークルの練習の日だったので、気晴らしに2時間参加してきました。

 

そこで、今回の結論としては、

 

 

まずは何故こうしたのか? 書いたのかを自分なりに解釈し、認めてあげないといけないなと。

 

 

つまりあの時は、

 

こんなダラダラと長い目標はよくわからないから何故もっとシンプルに書かないのか?

 

と思ってたので、つい僕の意見として言ったつもりが縦の関係になり、説教になってしまったんだと。

 

そこでお互いの意見を述べあい、理解したい場合はまずは相手の意見を聞くべきだと。

 

そしてタイミング良く、なるべく冷静な時に聞くべきだと感じました。

 

 

その為には、話せる準備をしておくと。

 


例えば、前置きするのも手かもしれません。

 

後で話せる? や、

 

今話せる?

 

など。

 

互いの時間を創る工夫をするという事ですね。

 

 

僕は、コミュニケーションとして意見を互いに伝えあい、

 

より一層の親密な関係を構築できたらと考えてます。

 


その為に意見を述べやすい場作りを提供するのも親の役目かもしれません。

 

 

今回の件で、色々と考えさせられました💦

 

 

今後は相手の意見を聞いてから自分の意見を伝えたいと思います。

 

最後に、


その日は長男よりも嫁に自分の意見を吐き出しました!


まあ理解したかしてないか分かりませんが
一つだけ言えるのは、

 

なんかスッキリしたと言う事(笑)

 

溜まってたのが全部出てクリアーなった気分です👍

 

 

では また次回✋️

アドラー心理学19 他者貢献

 久々のブログですね。ちょっと花粉症や、風邪をひき、体調を崩してしまいました😅

 

その間に前回のブログで触れてた、

 

バルセロナパリサンジェルマンチャンピオンズリーグの2ndレグ!

 

まさかの奇跡がおこり、バルセロナの逆転勝ちでしたねー。


今回ばかりはパリが先に駒を進めるだろうと思っていたんですけど、、、

 

バルセロナの意地やプライドを見た感じがしました。

 

 

 


では、前回の続きからいきます。

 

 

第3のキーワード

 

 

それが他者貢献です。

 

 

「嫌われる勇気」を読んでいきます。

 

 

 

 

他者貢献とは、仲間である事他者に対して、なんらかの働きかけをしていくこと。貢献しようとすることを言います。

 

この意味するところは、自己犠牲ではありません。むしろアドラーは他者のために自分の人生を犠牲にしてしまう人を

 


「社会に過度に適応した人」

 

であるとして警鐘を鳴らしてるくらいです。

 


よって、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、

 

むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。

 

 

社会に過度に適応した人ってなかなかユニークな表現ですね(笑)

 

 

ここまでくればあまり違和感なく受け入れる事ができます。

 

やはり自分が主体なんだと。


自分が他者に何ができるかを考え実践していくべきだという事でしょうね。

 

 

もっともわかりやすい他者貢献は仕事でしょう。

 

社会に出て働く事。

 

あるいは家事をこなすこと。

 

労働とは金銭を稼ぐ手段ではありません。

 

我々は労働によって他者貢献をなし、共同体にコミットし、誰かの役に立っていることを実感して、ひいては自らの存在価値を受け入れているのです。

 


つまり仕事の本質は他者貢献です。

 

うーん。なるほどー

 

仕事の本質は他者貢献かー。  

 

 

時折、何の為に、この仕事をしてるんだろうか?と思う時があります。

 


特に好きでもない仕事に何の価値があるのか?

 

僕の理由は、

 

やはり家族を養う為でしょうね。

 

 

それがなければ今の仕事はしないでしょう。


だって絶対に働きたくない業界でしたから。

 

だからこそ、今、自分らしい人生を少しでも送りたいと思って興味がある分野に深く取り組んで実践してるわけです。  

 

 

また、我が子や、このブログを見てくれてる方が、自分らしく人生を送る為のヒントを見つけてくれたらという願いもあります。 

 

 

勉強も大切ですが、人間として生まれてきた以上は何か意味があるわけで、一度しかない人生を悔やんで終わりたくないです。 

 

1人1人が自分らしい人生を早く見つければ余裕がうまれ、楽しく触れ合う社会が実現できるのではないかと思います。

 

未来は、より一層変化していくでしょう。


シンギュラリティが来て、機械の人工知能の社会進出がより顕著になり、人間は働く場所を失うかもしれません。

 

いや、逆に社会や会社、仕事事態の本質が変化するかもしれません。

 

そうなれば働き方も変わるでしょう。


週3から4日しか仕事しないかもしれません。

 

だからこそ、ベーシックインカムが必要になってくるのではないかと。


それも現行のベーシックインカムではなく、その時代や国にマッチしたベーシックインカムがいいんじゃないかと。


もし、そうなれば、

 

仕事漬けにさらされた時間が余暇にまわり、

 

他の仕事やボランティアやスポーツなどできる時間がうまれてきて、より人生に幅が広がり楽しくならないかと考えてしまいます。

 

まあ、話が脱線しましたが、大事なのは、

 

自分が他者に何が出来るかを考え、実践していく事。それが他者貢献に繋がるのではないか。

 

そして、これは僕個人の思いで、


コンピュータだけではなく、人間もアップデートしていくべきでしょうね!

 

実践→ エラー → アップデート → 実践

 

の繰り返しじゃないかと😄

 

 

では また次回✋️

 

アドラー心理学18 他者信頼

引き続き「嫌われる勇気」からですが、

 

第2のキーワードとしては、

 

他者信頼です

 

では読んでいきます。

 

ここでは、信じるという言葉を

 

信用と信頼とに

 

区別して考えます。


まず信用とは、条件付きの話しです。

 

英語でいうクレジットで、銀行でいえば担保です。


これに対して、対人関係の基礎は、

 

信用ではなく、

 

信頼によって成立しているのだと考えるのがアドラー心理学の立場になります。

 

 

その場合の信頼とは、

 

他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけないことです。

 

担保の事など、考えずに無条件に信じる。それが信頼です。

 

んー。

 

無条件ですか?


用心深い性格の自分にとっては正直受け入れ難いですねー(笑)

 

ある程度関係が築けてる間であれば無条件に信じる事はできそうですが


それ以外の人達をいきなり無条件に信頼せよと言われても急にはできないです。

 

しかし

 

浅い関係であれば、破錠した時の痛みは小さい。

 

しかしその関係から生まれる日々の喜びもまた小さいはずです。

 

それを他者信頼によってもっと深い関係に踏み込む勇気を持ちこたえてこそ、対人関係の喜びは増し人生の喜びも増えていくのです。

 

たしかに。

 

これは理解できます。

 

まあ、身内や家族友人、などは無条件に信頼はできますが


でも、

 

それ以外の関係の人達にはもし裏切られたら?

 

という考えはどこか片隅にはやはりあります。

 

そこで、

 

裏切られる事の恐怖を踏みこえるだけの勇気はどこから出てくるのか?

 


それが自己受容です。

 

ありのままの自分を受け入れ、

 

自分にできる事、自分にはできない事を見極めることさえできれば、

 

裏切りが

 

他者の課題である事も理解できるし

 

他者信頼に踏み込む事も難しくないと。

 

そして

 

こう考えてください。

 

我々には信じる事ができますし、疑う事もできます。


そして我々は他者を仲間と見なす事を目指しています。

 

信じる事と疑う事のどちらを選択するかは明らかでしょう。

 

なるほど。

 

裏切るか、裏切らないかは他者の課題の分離で 結局は自分が無条件に信じるか、信じないかが問われると。 

 

そして他者を仲間と見なす事を最終的に目指しているのであれば、信じるしかないだろうと。

 

あくまでも自分を主体に考えていれば、もし仮に裏切られたと感じる事があり、痛みや悲しみを伴っても、立ち直りが早くなるという事ですかね。

 

まあ、出会った人全員に全幅信頼を寄せる事はできないので、まずは身内や友人を、課題の分離など、今までとは違った意識を持って信頼していきたいと思います。

 

 

では また次回✋️

アドラー心理学17 自己受容

 

今までのブログで共同体感覚を得る為の理論などを学んできましたが、ここからは、さらに新しいキーワードが出てきます。

 

 

それは「自己受容」です。

 

 

引き続き、「嫌われる勇気」から

 

まずは自己受容をより理解する為に自己肯定との違いを述べています。

 

自己肯定とは、できもしないのに「わたしはできる、わたしは強いと」自らに暗示をかけることです。

 

これは優越コンプレックスにも結びつく発想であります、自らに嘘をつく生き方であるとも言えます。


一方、自己受容とは、

 

仮にできないのだとしたら、そのできない自分をありのままに受け入れ、できる様なるべく、前に進んでいくことです。

 

もっとわかりやすくいえば、60点の自分に「今回はたまたま運が悪かっただけで、本当の自分は100点なんだと言い聞かせるのが自己肯定で、

 

対して、60点の自分をそのまま60点として受け入れた上で100点に近づくにはどうしたらいいかを考えるのが自己受容になります。

 

さらに、

 

変えられるものと、変えられないものを見極めるのです。

 

我々は何かを与えているかについて変えることはできません。

 

しかし与えられたものをどう使うかについては、自分の力によって変えていくことができます。

 

そして、

 

我々は何かの能力が足りてないのではありません。

ただ勇気が足りてない。

全ては勇気の問題なのです」と。

 

僕の中で、自己肯定は多少違和感がありました。

 

物事を前向きに捉える事は共感できますが、現実を離れた肯定の仕方は無理があるだろうなと。

 

それに何も努力してないのにいずれ出来るとかは夢の様な話しですよね。

 

もちろんだからと言って人間の可能性を疑ってるのではなく、

 

逆に普段使用されてない脳力をたった3%ではなくて20%ぐらい使う事が出来ればもっと人生が楽しくなるだろうなと思っています(笑)

 

 

そこで、大事なのが自己受容って事ですよね。つまり現実的に考えなさいと。

 

普段から目的を達成する為に何をしてるのか。

 

僕でいえば脳力を20%使う為に何をやってるのか?

 

試合でゴールやヒットを打つ為に何をしてるのか?

 

テストで100点取る為に何をしてるのか?

 

って事ですよね。

 

やはり普段から何を意識しながら毎日を送っているのかが問われると。

 

僕は、今、興味があるものを掘り下げて考えて行動していきたいと思ってます。


その一つがこのアドラー心理学です。

 

題材にしている「嫌われる勇気」がもう少しで終わるので、

 

次は「幸せになる勇気」に取り組みたいと思っています。

 

それが終われば、その時に興味があるのに取り組む予定です。

 

今この段階では、

 

ベーシックインカム」か「ビットコイン

には興味あります😄

 

まあ、先はわからないので、

 

では また次回✋️