アドラー心理学2
前回の続きの目的論ですが、なぜアドラー心理学の基礎となってるのか?
それは人間は変われるを前提に考えてるからです。もっと言えば変われる可能説を考えるならば目的論になると。
なるほど。 なかなか理解し難い。
ここで嫌われる勇気の中の具体例をいくつか挙げてみます。
「例えば、風邪で高熱を出したとして医者に診てもらったとします。そして医者があなたが風邪をひいたのは薄着をして出かけたからですと
風邪をひいた理由を教えてくれたとしましょう。 あなたはこれで満足しますか?」
と問いかけてます。
もちろん満足しませんよね。ひいた理由は何せよ、対処法を教えてもらえたり薬などが欲しいです。
「でも原因論に立脚する人々、例えば一般的なカウンセラーや精神科医は、ただあなたが苦しんでるのは過去のここに原因があると指摘するだけ。まただからあなたは悪くないのだと慰めるだけで終わってしまう。いわゆるトラウマの議論は原因論の典型だと」
そして
「アドラー心理学はトラウマを明確に否定します。」
はっ? トラウマを否定? トラウマって当たり前にあるものじゃないのか?
ちょっとよくわからなくなってきました(笑)
ではもうちょっと読んでみます。
アドラーはトラウマの議論を否定するなかでこう語っている。
「いかなる経験もそれ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。我々は自分の経験によるショック、いわゆるトラウマに苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験に決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」と。
「つまり我々は過去の経験にどのような意味を与えるのかによって自らの生を決定している。人生とは誰かに与えるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのですと」
うーん、、、
まあ、要は過去に縛られてはいけないと。もっと幸せに生きる方法があると言いたいのでしょうね。
と、しばらく読み直してたら、この件についてまとめてありました。
以下、嫌われる勇気から。
「 ある過去に起こった出来事を冷たいと感じるか温かいと感じるか。これはいまの主観の話です。そこにあなたがどんな意味づけをほどこすかによって、現在のあり方は決まってくる。
問題は何があったかではなく、どう解釈したかであると。
そして可能性を考えるのです。もしも人間が変われる存在だとするなら、原因論に基づく価値観などありえず自ずと目的論に立脚せざるをえないと。あくまでも人は変われるを前提に考える。」
ここで冒頭の文に戻りましたね(笑)
つまり基本的に人間は変われるを前提に置き、その可能性を考えていけば自ずと目的論になるという事でしょうね。
今までの自分にはなかった考え方、感じ方ですがこれを機に取り入れていきたいと思いますし、そこで日常生活でどんな結果が出たのか、今後報告できたらと思います。
しばらくアドラー心理学を勉強していきます!
では また次回✋