読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Enjoy life! 面白く生きていく yoshiのブログ

面白いと感じた事やその取り組みなど自分が考えて実践した事などを書いていくブログです

アドラー心理学20 普通である事の勇気

久々ですが引き続き「嫌われる勇気」から。

 

 

 なぜ、「特別になろうとするのか?」


それは普通の自分が受け入れられないからでしょう。

 

だからこそ、「特別によくあること」がくじかれた時、「特別に悪くある 」ことに極端な飛躍をしてしまうのです。

 

 

うーん。

 

いまいちわかりません。

 

 

と思ってたら具体的に書いてありました。

 

 

以下

 

多くの子供達は最初の段階で、特別によくあろうとします。


例えば、親のいいつけを守って、社会性をもった振る舞いをし、勉強やスポーツ、習い事などに精をだし親から認められようとする。

 

しかしそれらが叶わなかった場合、一転して特別に悪くあろうとします。

 

授業中に消しゴムを投げたり、大声を出して授業を妨害したりする行為など。

 

ここで、もしあなたが普通である事の勇気を持つ事ができたなら、世界の見え方は一変するはずです。

 

うーん。

 

ここで言っている普通とはどんな事なんでしょうかね?

 

あまり高望みせず、夢や目標を持たず、日々を平凡に普通に暮らしていけばいいって事なんでしょうか、、、?

 

 

もう少し読んでみます。

 

 

夢や高い目標は、ちょうど登山で山頂を目指すようなイメージです。

 

もしも人生が山頂にたどり着く為の登山だとしたら、人生の大半は「途上」になってしまいます。

 

つまり、山を路破したところから、本当の人生がはじまるのであって、そこに至るまでの道のりは仮のわたしによる仮の人生なのだと。

 

では、仮に山頂にたどり着けなかったらあなたの生はどうなるのでしょうか?


途上のまま、仮のわたしのまま、仮の人生のまま、人生が中断されてしまうわけです。


いったい、その場合の生とはなんなのでしょうか?

 

 

んー。

 

 

確かに。

 

 

仮に目標が達成出来なければ何の為に生きてきたのかとあの世で悔やむかもしれません。

 

 

振り返るとこの20年は、目標ありきの人生でした。

 

年初に目標を立て、目標を中心に行動し、嫌な事があっても、僕には目標があり、そこに向かって行動すればいいと思ってました。

 

しかし、全ての目標が達成出来た事はないのに、反省し、また年初に新たな目標を立てる。

 

つまり、中間点までは行くが山頂にたどり着けず、進路を変えたり、または違う山を登山してきたわけです。

 

 

 

 

これって、、、なんか面白くない、、

 

 


そっか、、、

 

 


ちょっと先を読んでみます。

 

 


アドラー心理学の立場は違います。

 

人生を登山と考えてる人は自らの生を線としてとらえています。

 

この世に生を受けた瞬間からはじまった線が大小様々なカーブを描きながら頂点に達しやがて死を迎えるのだと。

 

しかしこうして人生を物語のように捉える発想はフロイト的な原因論にもつながる考えであり人生の大半を途上としてしまう考え方なのです。

 


、、そうなんかー。

 

 

 

ちょっと今回はこの辺にします(笑)

 


では また次回✋️