読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Enjoy life! 面白く生きていく yoshiのブログ

面白いと感じた事やその取り組みなど自分が考えて実践した事などを書いていくブログです

幸せなる勇気 第三部

 

第三部では、主に賞罰教育の賞について触れています。

 

ほめられることを目的とする人々が集まると、その共同体には競争が生まれます。


子供達を競争原理に置くと、「他者はすべて敵なのだ」「人々は私を陥れようと機会を窺う油断ならない存在なのだ」というライフスタイルを身につけていくでしょう。

 

さらに、

 

競争があるところ、駆け引きが生まれ、不正が生まれます。誰かに勝つ必要はない。

 

なるほど。

 

スポーツ等、勝負事にはっきりと勝ち負けがありますが、それ以外の事、社会や組織などは何を持って「勝ち」と判断するのか明確ではないですよね。

 

ではどうすればいいのでしょうか?

 

それは、

 

競争原理ではない「協力原理」に基づいて運営されるべきと説いています。

 

どういう事でしょうか?

 

例えば、1人の男子生徒が問題行動を起こしたとしましょう。

 

多くの教育者は、「この生徒をどうすればいいのか?」と考えます。ほめるのか? 叱るのか?などなど。


実はこの発想自体が間違っているのです。


これは彼が悪だったから問題行動に走ったのではなく、学級全体に蔓延する競争原理に問題があったのだと。

 

つまり教育者に求められるのは、問題行動を起こす個人に目を向けるのではなく、問題行動が起きる共同体に目を向けることです。

 

そして個人を治療しようとするのではなく、共同体そのものを治療していくことです。

 

そうですかー。

 

ついこのケースだと個人を見てしまいますが、
そうではなく、全体の問題を把握せよと。


そして、競争原理から協力原理へという事でしょうか?

 

この協力原理ですが、まだ僕の中では曖昧なんですよねー。


現に、特に日本人は何も言わず協力する時はしてるでしょう?


困っている人がいれば周りは助けてくれるし、サッカーでも協力的だから、パスがよく回るし、守備も皆やってる。逆に協力は日本人の長所と思うんですよ。

 

なので、、

 

改めて理解を深める為にここで、

 

 

アドラー心理学の提唱する横の関係を貫くのは協力原理です。

 

誰とも競争することなく、勝ち負けも存在しない。他者との間に知識や経験、また能力の違いがあってもかまわない。

 

学業の成績、仕事の成果に関係なく、すべての人は対等であり他者と協力することにこそ共同体をつくる意味がある。

 

そして、

 

人間はその弱さゆえに共同体をつくり、協力関係のなかに生きています。

 

なるほど。

 

元々、人間は弱い存在なのでしょうか?

 

弱いという存在を認めるところから出発すればより協力関係を理解できるのでしょうか?

 

ちょっと今回はこの辺りで💦

 

では また次回✋️