まずは、、
では、前回からの続きの
「福岡伸一 西田哲学を読む 生命を巡る思索の旅」
の本からですが、
本の内容は、興味がある方は購入されて読んで頂いて、
ここからは、いくつかのキーワードを元に、いつもの僕の仮説として考察していきます。
今回は 「ピュシスとロゴス」ですね。
この本の中で、よく出てくる言葉で、西田幾多郎を読み解くにあたり、理解しておかなければならない必須の言葉だと思います。
ピュシス physis を調べてみると、
「単に物質的な自然でなく、生ける霊にみちた能動的・有機的なもの。ギリシャ哲学の最初の主題となった。 」 コトバンクから抜粋
となってます。
なるほどー 😕
対して、
ロゴス logosとは?
「理性,言語、理法(法則),比例,定義などさまざまに訳されるギリシア語で,古代哲学,神学における重要な概念 」
コトバンクから抜粋
で、他のサイトを調べてみると、
このロゴスという言葉は、その言葉が語られる文脈に応じて、
論理、理性、言葉という上記の三つの主要な意味の他に、
言語や思想、さらには、概念、意味、説明、理論、理由、根拠、秩序、原理、理法、
さらには、
比率、比例、類比、算定といった意味でも語られる極めて多義的な意味を持つ言葉となっています。
なるほど。
ピュシスが目に見えない、ロゴスが目に見える、と現段階ではイメージしときます(笑)
で、西田幾多郎は、西洋哲学はロゴス一辺倒でやってきて、そこにはピュシスがないと問題提起されてます。
ロゴスの哲学は、思慮分別を大いに働かせることで、自然の実在からどんどん離れていき、自然をありのままに見てないと、、
う ー ん、、、
これは、先は長そうですね😅
どうしようかなー?
当初は、この上記の本を読んで考えた事を噛み砕いて書いていくつもりでしたが、、、
本のタイトルを見ても分かる通り、基本は西田哲学なんですよねー、、、
西田哲学をある程度知っておかないと、本質が見えてこない感じがして、、、
この本は、とりあえず解説本として受け止めて、、、、
やはり原文を読んでみるかなぁー
西田幾多郎と言えば、まずは
「善の研究」かな。
時間かけて読む価値はある本なのでね😄
まあ、、、
では また次回✋️
ゴメンナサイー😅