Self philosophy 3
前回の続きですが、😄
人間としての意味、存在してる意味は何なのか?
でしたが、
未だに分かりません😩
よって少し角度を変えます。
今回の言葉は......
「自分の労働に対して報酬が支払われるのは当然だ。自分の仕事から所得を得るのは当然だ。
だが、そのように報酬が支払われる労働は、本当に生活を維持するものなのか?
生活はそのような労働によって支えられるのか?」
いかがでしょう?
なかなかの問いではないでしょうか?🤔
自分が働いた分、成果を出した分の報酬を得るのは、ごく当たり前だと僕も思います。
だが、この本では、
この様な利己主義では、次第に生存競争をもたらし、困窮や悲惨を招き、社会は進歩しないと......
そうかー
ちなみに1921年の話です💦
そこで、今回の言葉、問いである、
~ そのように報酬が支払われる労働は、本当に生活を維持するものなのか? 生活はそのような労働によって支えられるのか? ~
を深く考えます。
本では、ある人が無人島に移った場合を具体例として挙げてますが、
この場では、
ある人が、ある畑で働く事を考えてみます。
まだ何も生産されてなく、未計画な畑で働くと仮定します。
よって、とりあえず1週間は、畑の周りを掃除、草むしり、整備等しか出来ませんでした。
ここで、
当初の価値観、通常の人間の概念ならば、一週間分の掃除、草むしり、整備等その人にふさわしい給料を支払うべきなんです。
しかし、正直、現段階では、まだ未計画であるし、畑に何か産物をもたらす事もないので、この仕事は生活と関連してない。
となれば......
労働自体って、生産から元々切り離されている?........
となれば、その様な労働が生活を維持するものなのか?..........
...............
正直、どちらでもないかも(笑)
この本では、
労働そのものが生活に意味を持つのではなく、賢明 (物事の判断、やり方が道理にかなっていて適切である意) に行なわれる労働が意味を持ち、人間によってもたらされた叡智 ( 物事を深く、見通す優れた知恵)が人間に役立つものを提供すると。
また、
素晴らしい抽象的な理論を考え出す事が大事なのではなく、個々人が社会的な意味で考えることを学ぶかどうかに本当の進歩はかかっている。自分の労働を自分の為に用いない事によって社会は進歩する
と述べています。
そうかー😑
しかし、この社会的意味で考えるとはどういう事なのだろう?
自分がとった行動が社会に結びついているか? いたか? を考える事なのでしょうか.......
僕はブラックコーヒーが数年前から好きになったのですが、昨日、コーヒー1杯 マンデリンをお気に入りの店で飲みました。
この場合、コーヒー1杯から社会的考えれば、
豆を栽培する人、豆を輸送する人、焙煎する人、お店で提供する人など、色々な人達が関わっているのが分かります。
僕は、このコーヒー1杯を飲む価値があると思ってお金を払い飲んだわけですが......
もし各自それぞれが自分の価値観に沿い、その対価としてお金を払う機会が多くなれば、社会は進歩するのでしょうか?
やってみないと分かりませんが、まずは自分が取り組んでいきたいと思います。
ちなみに本では、
私が全体への奉仕のために労働し、私が必要とするものを全体が私に与えるときのみ社会は進歩できる。
つまり、自分の仕事の収益を個人の報酬という形で得ようとしないことによって、社会の進歩が可能になります。
自分の労働からは自分の為に何かを得ようとするべきではなく、自分は社会共同体に対して労働する責務があるという事を知ってる人は事業を全く異なった目的に導きます。
自分の為には何も要求せず、社会共同体から自分に贈られるものによってのみ生計を立てる。
と🤔
まあ、突然、上記の内容全てを受け入れる事は今は出来ないけれど、頭の片隅にでも入れておき、今後柔軟に物事を対応できればと思います。
では また✋️