幸せになる勇気 第5部
ついに最後の項目です。
ここでは愛について主に述べていますが、
ところで、この愛ですが、皆さんはどう感じてますか?
僕はこのアドラー心理学に出会うまでは、愛とは自分からとてもとても遠い存在で、抽象的で、大変重たいイメージがありました💦
よって、古典的な日本人なもので(笑)
欧米人みたいに、気軽にI Love youなど気軽に言えませんし、
多分今後も言えないでしょう。
でもこれから記しますが、愛については、この本のおかげでだいぶ理解というか、イメージが出来た感があります。
ここでは、
世間一般の愛については、落ちる愛が主流で、観念的な神の愛と本能的な動物の愛ばかりが語られていると。
そして誰1人、人間の愛を語ろうとしない。そこで人間の愛を考えなさいと。
正直この愛に3種類もあるのに驚きましたし、かつそこにプラスして人間の愛を考えなさいと問いかけている。
うーん。
ここで、アドラー流、人間の愛の結論を先に挙げ、自分なりに考察してみたいと思います。
まず、
人間の愛とは
落ちる愛ではなく築き上げるもので
それを、2人で成し遂げる課題と置き換え、
この成し遂げる技術を学んで行かないといけないと。
では2人で何を成し遂げるのか?
それは幸福である。
幸福になる為には、対人関係に踏み出さないといけないし、人生のタスクに踏み出さないといけない。
では具体的に人間の幸福とは?
幸福とは、貢献感である。
私は誰かの役に立っているという主観的な感覚があればそれでいい。
つまり、私の幸せ、あなたの幸せより私達の幸せを優先させる事。
「わたし」だった人生の主語は消え、
「わたしたち」に変えないといけないと。
それが自立= 自己中心性からの脱却。
つまり、私からの脱却につながり共同体感覚に辿り着くと。
となってます。
自分の夢や目標を、、、
自分がやりたい事を、、、
自分の人生を楽しく等は、、、
まだ大人ではないんですねー
まあ、
逆に言えば世の中の人々が上辺だけの社会貢献ではなく、真からの社会貢献を謳えば、それが自然と愛に繋がるのではないかと。
具体的には、まずは
私を私達に主語を変える事からですよね。
そして主観的な貢献感を得る為に日々行動していくと。
こう考えれば現世の中に溢れている、便利、快適、娯楽、快楽、などは私が主語の主観的な感覚であり、それを少しずつ、私達を主語にした主観的な貢献感に増やしていけば、
さらに上質な社会を形成していけるのではないかと思います。
そこで気になるのは、競争や勝ち負けの感覚ではないでしょうか?
私達を主語にして考えると、どうしても上記の項目が邪魔してくる。
この点、僕は幼少の頃から感覚が薄かったし、金銭欲もあまりないので、あまり邪魔には感じませんが、逆に勝負や競争の世界でずっと生きてきた人にとってはかなりの障害があると思います。
たからと言って競争や勝負事を否定してもすぐには無くならない訳で、、、
となれば、
自分で上記の感覚を薄くしていくしかないですよね。
他に何か方法はないのか今後そちら方面で探っていきたいのですが、
今のところはまずは自分を変化させるしかないですよね。
で、将棋をした事がある方は感じた事があるかと思いますが、一応勝負事ですが、プロの試合を見ても分かる様に対局後勝っても喜びをあまり表現しませんよね。
逆に勝者が
「あー」と首を傾げたりする人もいます。
あれは負けた人もなんか不思議な感覚があるんですよね。
それも内容が濃ければより勝っても負けてもなんか互いが納得してる感覚がある。
それって、もしや、相手をリスペクトするって事に繋がるかしれませんね。
相手を負かしてやるではなく、良い勝負、試合をしようとリスペクトする。
大切かもしれませんね。
相手がいないと勝負事なんかは成立しない訳ですから。
ちょっと長くなってますが😅
最後にこの言葉を
幸せになる勇気から。
「我々に与えられた時間は有限である以上、すべての対人関係は別れを前提に成り立っている。
現実として別れるために出会うのです。
ならば我々に出来る事は、ただひたすら最良の別れに向けた不断の努力を傾けるしかない。
いまをここに真剣に生きるとは、そういう意味です。」
本当に最後まで、僕の価値観をこの本で覆されました(笑)
でも本質をついているので、別れを前提にと意識すれば特に親族や我が子の事を思えば本当に今という時間を大切に生きていけそうです。
今後は毎日、自己修正して、
主観的な貢献感を得る為に、行動していかないといけないですねー✌️
では また次回✋️