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Enjoy life! 面白く生きていく yoshiのブログ

面白いと感じた事やその取り組みなど自分が考えて実践した事などを書いていくブログです

幸せになる勇気 第2部

ここでは、主に賞罰教育について書いています。

 

嫌われる勇気にもありましたが、個人的には賞罰の賞がまだ腑に落ちないですね。

 

またここ最近も、長男をなるべく控えめに褒めたんですが喜んでましたし、、、

 

褒めてはいけないと💦


またさらに理解を深めたいと思います😅

 

では、まずは賞罰の罰について。

 

 

現代のアドラー心理学では、人間の問題行動について、その背後に働く心理を5つの段階に分けて考えます。


1、称賛の要求

2、注目喚起

3、権力争い

4、復習

5、無能の証明

 

となってます。

 

では1つずつ考えていきます。

 

1、称賛の要求

 

親や教師に向けて「いい子」を演じる。組織で働く人間であれば上司や先輩に向けてやる気や従順さをアピールする。

 

これって、特に問題はないですよね?


逆に優等生でいいじゃないですかー

 

でも、アドラー心理学では、

 

彼らはいいことをしているのではありません。ただ褒められることをしているだけなのです。

 

彼らは、褒めてくれる人がいなければ適切な行動をしないのだし、罰を与える人がいなければ不適切な行動もとるというライフスタイルを身につけていくのです。

 

なるほど。

 

つまり、自立できない訳ですね。


まさに指示待ち族の予備軍になってしまうと。

 

では、どういう点に着目していけばいいのでしょうか?

 

特別でなくとも価値があると教えていくのです。尊敬を示す事によって。


具体的には、何かいいことをしたときに注目するのではなく、もっと日頃の些細な言動に目を向け、その人の関心事に注目し、共感する。

 

おっと、ここで前回のブログの内容に戻るわけですね。


ありのままを認めて、上記の内容に目を向けると。

 

これは、つまり、過程を見よという事でしょうか?

 

テストで30点取り、点数で判断するのではなく、どこで間違い、何が正解してるのか?日頃の勉強はどうだったかなど内容を見よと。

 

将棋で例えれば感想戦でしょうね。


勝敗の原因を探ったり、ある局面を振り返り、仮にこう指しておけばどう展開したのか? 詰みがなかったのか? などなど、

 

共に最後は共感していきます。

 

将棋って、盤は小さいですが、人間のあらゆる場面があそこに詰まってる感じがしますね。

 

アドラーにも通じるものがあるなー

 

今回はこの辺りで^_^

 

では また次回✋️

幸せになる勇気 第1部 その2

前回は、半信半疑で終わってましたが💦

 

まだ確信には至っていません。

 

「尊敬とは勇気づけの原点で、ありのままのその人を認める。」

 

我が子の短所をありのまま認める、、、

 

もしかしたら短所と勝手に判断してはいけないのでしょうか?

 

わかりませんねー。

 

ちょっと例えが悪かったかもしれません。


もっと短所ではなく関心事に目を向けるべきかもしれません。

 

本にはこう書いてあります。

 

こちらからなにかを推奨するのではありません。ただ子供達の関心事に関心を寄せるのです。

 

あなたから見て、どんなに低欲な遊びであろうと、まずはそれがどんなものかを理解しようとする。

 

場合によっては共に遊ぶ。

 

遊んであげるのではなく自分自身がそれを楽しむ。

 

その時はじめて、子供達は自分達が認められていること、子供扱いされていない事、1人の人間として尊敬されている事を実感するでしょう。

 

これはあらゆる対人関係で求められる、尊敬の体的な第一歩です

 

なるほどー。

 

この間、長男が遊んでるカードゲームをしました。たしかデュエルマスターズだったかな、これがまた、ルールが複雑すぎて、サッパリ分かりませんでした😅

 

多少粘りましたが、理解できなく、次男に譲りました(笑)

 

すると今は次男がある程度ルールを把握できたのか、一緒に遊んでます。

 

子供の吸収力って凄いし、呑み込みが早いですね。長男も友達から教わって一日で覚えたと言ってました。

 

ここで僕がもう少しそのカードゲームを理解しようとすれば、長男をさらに認める事に繋がったという事ですかねー。

 

 

ただ僕の中では、だいぶ長男に至っては子供とはあまり思って接してないです。

 

もう9歳だし、色々と自分で考えて、動いて、試して、修正して、また動いてほしいと思っています。

 

その中で、迷いや不安が出てくるでしょう。
そんな時に親は子供と対等に接し、ありのままを認め、勇気づける事が必要なんでしょうね。

 

子だけではなく、部下や友達にも同様に!

 

では また次回
次回は第2部に取り組みます✋️

アドラー心理学 23 幸せになる勇気 第1部

今回からは、「幸せになる勇気」を基本に以前のブログから多少変更を加えて部構成で考えていきたいと思います。

 

 

では、第1部から。

 

まずは「教育」をテーマに考えてます。

 

 

家庭や学校での教育はなにを目標になされるものなのか?

 

それは一言でいうと 「自立」です。

 

アドラー心理学では、人はみな、

無力な状態から脱し、より向上していきたいという欲求

 

「優越性の欲求」を抱えて生きる存在だと考えます。


つまり、人はみな自由を求め、無力で不自由な状態からの自立を求めている。

 

そして、教育とは「介入」ではなく、自立に向けた「援助」なのです。

 

ここで自立という言葉をより具体的に認識した方が良さそうですね。


僕は、自立と言えば、自分で責任を持ち、判断して行動できるとしかイメージがありませんから(笑)

 

 

自立(コトバンクより)

 

他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。「精神的に自立する」

 

と書いてます。

 

が、、、

 

このアドラーの、自立に向けた援助の場合は
精神的な方でしょうね。

 

先を読んでいきます。

 

他者がいて、社会があるから学ぶべき知があると。

 

ここでの知とは学問ではなく、人間が人間として幸福に生きるための知も含みます。

 

すなわち、共同体のなかでどのように生きるべきか。

 

他者とどのように関わればいいのか。

 

どうすればその共同体に自分の居場所を見出すことができるのか。


わたしを知り、あなたを知ること。

 

人間の本性を知り、人間としての在り方を理解すること。

 

アドラーはこうした知のことを人間知と呼びました。

 

この人間知は書物によって得られる知識ではなく他者と交わる対人関係の実践から学んでいくしかないものです。


その意味において、大勢の他者に囲まれた学校は家庭以上に大きな意味を持つ教育の場だといえます。

 

なるほど。

 

人間知を学ぶと考えれば、学校は最適な場なんですねー。


後は、先生方が介入ではなく、自立の為の援助をしてくれたら、なお良い環境になると。

 

でもまずは精神的に他人に依存するのではなく、自立する事ですよね。

 

ケース バイ ケースで自らの頭で考え、実践し、修正して、また実践する力を養える事ができれば最高です。

 

その為に親や先生は、答えを求めようとせず一個人を認める。

 

ところで答えって、


授業以外にいるんですかねー(笑)

 

社会に出たら、答え分かります?

 

僕は大半が分かりませんけど😅

 

まあいいや。

 

で、次に自立の入り口はどこにあるのかが書いてます。

 

それは尊敬です。


これは親子であれ、あるいは会社組織のなかであれ、どのような対人関係でも同じです。


まずは親が子供を尊敬し、上司が部下を尊敬する。

 

役割として、教える側に立っている人間が教えられる側に立つ人間の事を敬う。

 

尊敬なきところに良好な対人関係は生まれず、良好な関係なくして言葉を届けることはできません。

 

そうですかー。

 

尊敬ですかー、、、

 

先程の自立という言葉もそうだったのですが、この尊敬という言葉の意味もなかなか深いですよね。

 

個人的には、相手を敬うと解釈してますが、
どうも尊敬といえば自分よりも目上に感じ、近寄り難い雰囲気があります。

 

でもこれだとアドラーの言う横の関係ではなく、縦の関係で見てしまいます。

 

「尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう気遣うことである」


これは、エーリッヒ・フロムの言葉です。

 

つまり、目の前の他者を変えようとも操作しようともしない。

 

なにかの条件をつけるのではなく、ありのままのその人を認める。これに勝る尊敬はありません。

 

そして、もし、誰かからのありのままの自分を認められたらなら、その人は大きな勇気を得るでしょう。

 

尊敬とは、いわば勇気づけの原点でもあるのです。

 

ありのままのその人を認める、、、

 

なるほど。

 

自分の価値観で勝手にその人を判断せずにそのままを認めるという事でしょうか?

 

まあ、これもケースバイケースだと思いますが、

 

とりあえずは認めるだけでいいんでしょうね。

 

我が子におきかえれば、長男は国語の文書問題が苦手で、物をよく失くします。


次男は、よく長男の物、特にカードゲームで良く遊び、散らかし、後片付けをしない。

 

親からみて子の短所を挙げましたが、これらをまずは認めるという事なんでしょうね。

 

認めればその人は大きな勇気を得られる、、


うーん。

 

まだ半信半疑なもので💦

 

 

今回はこの辺で😅

 

では また次回✋️

アドラー心理学22 人生最大の嘘

引き続き「嫌われる勇気」を読んでいきます。

 

 

毎日少しでもいいから何かしら行動する。


そうすれば、そこには必ず「今日できたこと」があるはずです。今日という一日はそのためにあったのです。

 

決して遠い将来の為に今日があるのではありません。

 


いいですねー👍

 

もっと早くこの本に出会いたかった。

 

僕が小学生の時にでも聞きたかった言葉ですね😅

 

つまり、受験なら、毎日少しでもいいから数式や問題や単語を覚える。

 

サッカーなら、いつかゴールを決める為にシュート練習をする。

 

料理の味を以前より美味しくする為に色々と試す。などなど。

 

 

 

今、ふと感じた事がありまして、

 

 

 

 

それは、今日できた事を毎日振り返ってみてはどうかなと。

 

 

大抵、反省を世間的には求められますが、そんな反省点ばかり意識させられたら自己嫌悪になります💦

 

 

それより、自分が今日出来た事に目を向けられたらちょっと楽しくないですか?

 

もしそこで、今日何も出来た事がなかったとしても明日は何か出来る様に前向きに行動していくと思いますし、モチベーションになる!

 

遠い将来の目標や夢ではなく、まずは今日、今を意識し、真剣にかつ丁寧に生きていくという事ですよね。

 

 

人生における最大の嘘、


それは「いま、ここ」を生きないことです。


過去を見て、未来を見て、人生全体にうすら、ぼんやりした光を当てて何か見えたつもりになることです。

 

目標などなくてもいいのです。「いま、ここ」を真剣に生きる事、それ自体がダンスなのです。

 

深刻になってはいけません。

 

人生はいつもシンプルであり、

 

そして、人生はつねに完結しているのです。

 

 

えっ! 完結?

 

どういう事でしょうか、、

 

 

あなたも、わたしも例え、「いま、ここ」で生を終えたとしてもそれは不幸と呼ぶべきではありません。

 

20歳で終わった年も、90歳で終えた年もいずれも完結した生であり、幸福なる生なのです。

 

つまり、「いま、ここ」を真剣に生きていたとしたならその刹那は常に完結したものであると。

 

 

なるほど。

 


この後、さらに人生の意味などはないと述べています。


例えば戦禍や天災のように我々の住む世界には理不尽な出来事が隣り合わせで存在しています。

 

戦禍に巻き込まれて命を落とした子供達を前に人生の意味など語れるはずもありません。

 

しかし、そうした不条理なる悲劇を前にしながら何も行動を起こさないのは起こった悲劇を肯定しているのと同じでしょう。

 

どんな状況であれ、我々はなんらかの行動を起こさねばなりません。

 

困難に見舞われたときにこそ前を見て、これから何ができるのか?を考えるべきなのです。

 

 

昨年の日本は、地震が多発しました。


特に熊本は震源地周辺の被害が甚大で、家の倒壊が多数発生しました。

 

そんな中、原因ばかり考えても何も変化しない。やはり大事なのは、今、何ができるのか?を考え実行する事ですよね。

 

それが今を真剣に生きる事に繋がる。

 

そして最後にこう述べてあります。

 

あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、


「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ迷うことはないし、なにをしてもいい。

 

嫌われる人には嫌われ、自由に生きて構わない。

 

そして、刹那としての、「いま、ここ」を真剣に生きましょう。

 

過去も見ない。完結した刹那をダンスするように生きるのです。


誰かと競争する必要もなく、目的地もいりません。踊っていればどこかにたどり着くでしょう。


なんか、こう聞くとモチベーションが上がるというよりかは楽しくなりそうですよね。

 

目標や夢を達成する為に我慢や苦痛に耐え、今を準備期間と捉えるより、

 

今を真剣にかつ丁寧に生き、他者貢献を軸に、嫌われる人には嫌われれながらも自由に生きた方が楽しい日々が多い様な気がします。

 


これで大体、「嫌われる勇気」を一通り振り返りました。

 

本一冊をこんなに丁寧に振り返った事は今まで一度もありませんでした。

 

これが出来たのも自分はもちろんですが、このブログを見てくれる方々が何かしら感じて、行動するきっかけを掴んでくれたらと勝手な他者貢献のおかげでしょうね(笑)

 

個人的には本当にもっと早くこの本と出会いたかった。もし、そうなら、今頃は、、、

 

 

と、考えるのはやめます😅

 

 

今を真剣に丁寧に生きていきましょう✌️

 

 

最後に、今日出来た事は、

昨日より、ブログの記事が一つ増えた事😁

 

 

では また次回✋️

アドラー心理学 21 人生は連続する刹那

引き続き、前回の続きから

「嫌われる勇気」を読んでいきます。

 

自らの生を線として捉え、人生の大半を途上としてしまう考え方ではなく、どう捉えれば良いのでしょうか?

 

 

人生を線として捉えるのではなく、人生は点の連続なのだと考えて下さい。

 

そして、人生とは連続する刹那なのです。


我々は「いま ここ」にしか生きる事ができない。


それを知らない大人達は若者に線の人生を押し付けようとします。


いい大学、大企業、安定した家庭、そんなレールに乗る事が幸福な人生なんだと。


でも、人生に線などありえません。

 

 

ほーー。

 

その前に刹那とは何? 

 

刹那(コトバンクから)

「極めて短い時間、瞬間」 であると。

 

なるほど。

 

言い換えれば、


人生は連続する瞬間かー。

 

こう考えて下さい。

 

人生とはいまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです。

 

そして、ふと周りを見渡した時に「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる。

 

つまり司法試験というダンスを踊ってきた人はそのまま弁護士になっていたり、執筆というダンスを踊り作家になった人もいるかもしれません。

 

これらはエネルゲイア的な人生(現実活動的)といえるでしょう。


いま、なしつつあることがそのままなしてしまったことであるような動きです。


別の言葉で言うなら、過程そのものを結果と見なす動きと考えてもいいでしょう。

 

なるほど。

 

僕は昔から結果よりも過程を大事にしてきたし、人を見る時も結果よりも過程に比重を置いているので、このエネルゲイア的な人生は理解できます。

 

さらにこう付け加えています。

 

いま、ここに強烈なスポット当てて下さい。

 

我々はもっといま、ここだけを真剣に生き、かつ丁寧にやっていくべきなのです。

 

過去が見えるような気がしたり、未来が予測できるような気がしてしまうのはあなたがいま、ここを真剣に生きておらず、うっすらぼんやりした光の中に生きているので証です。

 

どうも僕に足りないのはこの部分でしょうね。

 

今ここに強烈なスポット、光を当ててないと。

 

目標や夢ばかりを追いかけて、今をその準備期間と捉えてた。

 

ただ自分に光を当てる動機というか、これだと打ち込んでやっていける何かが今まではありそうでなかった。

 

でも、40歳を手前にして、要約、光が見えてきた感覚があるし、逆に自らが光を当てない時期に来てるんでしょうね。

 

 

では また次回✋️

アドラー心理学20 普通である事の勇気

久々ですが引き続き「嫌われる勇気」から。

 

 

 なぜ、「特別になろうとするのか?」


それは普通の自分が受け入れられないからでしょう。

 

だからこそ、「特別によくあること」がくじかれた時、「特別に悪くある 」ことに極端な飛躍をしてしまうのです。

 

 

うーん。

 

いまいちわかりません。

 

 

と思ってたら具体的に書いてありました。

 

 

以下

 

多くの子供達は最初の段階で、特別によくあろうとします。


例えば、親のいいつけを守って、社会性をもった振る舞いをし、勉強やスポーツ、習い事などに精をだし親から認められようとする。

 

しかしそれらが叶わなかった場合、一転して特別に悪くあろうとします。

 

授業中に消しゴムを投げたり、大声を出して授業を妨害したりする行為など。

 

ここで、もしあなたが普通である事の勇気を持つ事ができたなら、世界の見え方は一変するはずです。

 

うーん。

 

ここで言っている普通とはどんな事なんでしょうかね?

 

あまり高望みせず、夢や目標を持たず、日々を平凡に普通に暮らしていけばいいって事なんでしょうか、、、?

 

 

もう少し読んでみます。

 

 

夢や高い目標は、ちょうど登山で山頂を目指すようなイメージです。

 

もしも人生が山頂にたどり着く為の登山だとしたら、人生の大半は「途上」になってしまいます。

 

つまり、山を路破したところから、本当の人生がはじまるのであって、そこに至るまでの道のりは仮のわたしによる仮の人生なのだと。

 

では、仮に山頂にたどり着けなかったらあなたの生はどうなるのでしょうか?


途上のまま、仮のわたしのまま、仮の人生のまま、人生が中断されてしまうわけです。


いったい、その場合の生とはなんなのでしょうか?

 

 

んー。

 

 

確かに。

 

 

仮に目標が達成出来なければ何の為に生きてきたのかとあの世で悔やむかもしれません。

 

 

振り返るとこの20年は、目標ありきの人生でした。

 

年初に目標を立て、目標を中心に行動し、嫌な事があっても、僕には目標があり、そこに向かって行動すればいいと思ってました。

 

しかし、全ての目標が達成出来た事はないのに、反省し、また年初に新たな目標を立てる。

 

つまり、中間点までは行くが山頂にたどり着けず、進路を変えたり、または違う山を登山してきたわけです。

 

 

 

 

これって、、、なんか面白くない、、

 

 


そっか、、、

 

 


ちょっと先を読んでみます。

 

 


アドラー心理学の立場は違います。

 

人生を登山と考えてる人は自らの生を線としてとらえています。

 

この世に生を受けた瞬間からはじまった線が大小様々なカーブを描きながら頂点に達しやがて死を迎えるのだと。

 

しかしこうして人生を物語のように捉える発想はフロイト的な原因論にもつながる考えであり人生の大半を途上としてしまう考え方なのです。

 


、、そうなんかー。

 

 

 

ちょっと今回はこの辺にします(笑)

 


では また次回✋️

日本 vs タイ

いやー。ちょっと時間差ですが💦

 

この試合ヒヤッとさせられましたが終わってみれば4-0と完勝でしたね。

 

テレビ観戦後の感想を少し😄


この試合、久保がいなければ、引き分けか負け試合でしたね。

 

それぐらい残念ながら内容が乏しかった。

 

次に繋がる光が久保と本田の使い方ぐらいしか見当たらなかったですね。

 

この試合はゲカ人が続出で、慣れないポジションでプレーした選手もいました。

 

なので、多少守備などにもたつく時間帯がありました。

 

まあ、これは想定内としても攻撃面で、このままでいいのか?と不安になりました。 

 

僕も、中学生まではプレイヤーでしたし今は日本サッカー協会の指導員の資格を持ってますので(一番下のランクですが)
将来の為に意見を言わせてもらいます👍

 

まず守備は日本人は根本的に得意だと思うので、組織力と適材適所に選手を配置できれば特に問題ないと感じてます。

 

問題はマイボールになってからのゴールまでのシナリオですよね。

 

日本人が弱い僕も弱いですが戦略の部分です。

 

やはり点を取らないと勝てない訳だから、ゴールまでのシナリオをどうするのか?

 

タイ戦では、それがあまり見えませんでした。

 

個人技頼りで、まさに出たとこ勝負ですよね。

 

4点とりましたがW杯本戦だと通用するかどうか甚だ疑問です。

 

特に気になったのは、味方の足が止まってる場所にボールが出てるところです。

 

どういう事かというと、仮に一番後ろの吉田麻也がボールを保持してるとしましょう!

 

そこで多いのが探りながらの横パスです。

 

サイドに開いている長友や酒井宏樹にパスを出します。

 

これはこれで良いんです。仕掛けるタイミングを計っているなら。

 

問題は前線にいる選手達の動きです。

 

後半は特にその場で止まってましたね。

 

だからパスが出てもダイレクトでボールを叩いたりなど出来ず、まずはボールを止める事になり、相手DFに寄せられるパターンになっていた。

 

これだとスピード感がないし、肝心のシュートが打てない。

 

でも唯一、岡崎と久保はチョコチョコと動いていた。戻ってきたり、前に動いたりとスプリントしてましたね。

 

そのタイミングでボールが出れば面白いのに、

 

そこに出ないんです。

 

やはりリスクがあるんでしょうかねー

 

スペインやドイツ代表などは選手が動いてる所にボールが出てくるから流れる様な攻撃になり、かつスピード感がある。

 

日本は連携が得意なんだから、出来るはず!

 

もっと長所を生かして欲しい。

 

例えば、

 

山口蛍がボールを持ったら、香川が戻ってボールをもらいに来る。同時に久保や原口が香川からのパスをもらえる場所に走りだし、また、わざと逆に走ってターンして走りだす。と、同時に岡崎や大迫がゴールに直結する走りをしておく。

 

みたいな感じです。

 

まさしく連動ですよ。

 

それをいつもやるのではなく、緩める時は緩め、早める時に早める。スイッチを入れる!

 

そう出来れば最高です。

 

そして最後はシュートです。

 

この間のドイツ代表を引退したポドルスキーイングランド戦で見せたシュート。

 

マークを受けながら、すぐ様、ゴール右隅の上に突き刺さるシュート!

 

素晴らしいです✌️

 

あの様なシュートを日本人もたくさん打って欲しい。

 

タイ戦での久保のシュートはコースも似てましたね。


ちょっと気になったのでYouTubeでシュート練習を色々と見ましたが、圧倒的にゴロが多い。

 

まあ、試合前なんで、アップ程度にやってるのかもしれませんが、もっと、ゴールにこだわって欲しい。

 

キーパーに止められても平然としてる。

 

その中で、中村俊輔のシュート練習の動画を見ましたが、この人はやはり上手い。

 

ほぼ9割入ってました。それも右隅、左隅へと打ち分けて。

 

これぐらいシュートを打てる選手が代表に3人から4人いると、得点率はアップすると思いますよ!

 

ぜひ、パスだけではなくシュート練習にも比重を置いて欲しいです。

 

ちょっと長くなってしまいました💦

 

では また次回✋️